Lalahをみたよ<NOLA – Day 03>

ニューオリンズは、暖かく天気がよくて過ごしやすい。日中は気温が26度まであがり、湿気もそこそこと、ほどよい暑さの夏日が続いている。前回ニューオリンズに来た6月は連日34度を超え猛烈に暑かったし、とにかく雨が多くて外出できない日もあったので、それに比べると今回は非常に快適である。

さて、天気はよいし、わざわざニューヨークからカメラの三脚も持ってきたということもあり、ホステル内でアルバム用の宣材写真を撮ることにした。チェックアウトの時間が過ぎて人気の薄くなる午前11時半過ぎを狙って、テラスや共用室にて写真を撮影した。もちろん全部自撮りである。日本だとこの行為は非常に恥ずかしいのであるが、なんせここは外国である。ぜんぜん恥ずかしくない。通り過ぎるスタッフや宿泊客も、へー写真撮ってるねくらいの反応である。

わたしは常に自分のアーティスト写真は自分で撮っているのだが、毎回数百回に及ぶシャッターを切って奇跡の一枚があればいいほうであるため、軽く2時間はかけて写真撮影をした。撮り終えてそれらの画像を確認したところ、映った自分の姿を見て、やはり年齢を重ねているなあとしみじみ思う。数年前よりも小皺は増え肌は衰えているし、体重も随分と増えている。しかしこれもまた経年変化である。別に嘆かわしいことでも何でもない。若さゆえの美しさもあれば、年齢を経るごとに刻まれる美しさもあるのではないかと日頃から思っている次第である。

撮影に疲れて少しだけ仮眠をとったあとは、中心街であるフレンチ・クオーターでお土産を物色することにした。路面電車から降り立ってカナル・ストリートを横切り歩みを進めていくと、たくさんの土産物屋があった。しかし、どれも置いているものは大体同じようなもので、価格もさほど変わらない。それでも時々、面白いものを発見することがあって、そんなときはお土産ハンターとしての本懐を遂げたりと満足する。また、今回アルバムに参加していただくセイゾーさんがフレンチ・クオーター内のお店で演奏しているということなので、お会いして写真を撮った。タイミングが合えば滞在中にご飯でも、というお話をして別れる。そのあともまたお土産ハンターとして街を練り歩いていたのだが、実のところ本日のメインイベントは、Lalah Hathawayを見にゆくことである。たまたまニューオリンズのライブ情報を確認していたところ、House of BluesでLalahの演奏があることを知り、速攻でチケットを予約したのである。

18:30には会場前の列に並び、19:00には店の中に入る。Lalahの出演時刻である21:00までかなりの時間を待っていたのだが、前日に3時間ほどしか寝ていなかったため眠くて仕方がなく、何度か目を開けながら幻影や幻聴のような夢を見た。また、立っている際にすら訪れる強烈な眠気に耐えきれず、何度も膝をがくりと折った。前座で地元のハウスバンドとDJによるパフォーマンスがあったのだが、その際に眠気は最高潮に達する。ハウスバンドの歌はそれなりに上手いのだけれど何だが全体的に安っぽくてこの場所で見る必要は感じられなかった。一方で、DJプレイはとても面白かった。有名曲のインストというかカラオケみたいなものを細切れに流し、その場の観客にいちいち大合唱させて盛り上げている。これなら前座として意味をなしているだろう。

眠気に苦しむ待ち時間が終わり、いよいよLalahの登場である。大きな歓声と拍手によって迎えられた彼女は、少し体格はよいものの、顔がむちゃくちゃ可愛かった。本当に可愛くて、好きになってしまいそうである。そして、見た目もさることながら、当たり前に歌は極上である。ひと声発した時の静かで深いエネルギーが力強く会場を包み込む。本物だーと感動しているうちに、Summertimeの演奏が始まり、ゲストボーカリストとしてDee Dee BridgewaterとLedisiが登場して見事に歌いあげた。Dee Deeはかなり年老いているように見えたが、さすがの圧巻たるパフォーマンスで、ここでもまた胸が熱くなる。

彼女たちが去って数曲を経たのち、わたしの大好きなJoe Sampleとのアルバム「Song lives on」から、When your life was lowが歌われた。そのアルバムの中ではそんなに好きな曲ではなかったはずなのだが、歌いはじめから次から次へと涙が溢れて止まらなくて、首にまで何本もの涙の筋が流れた。最高じゃないか。この1曲を聴けただけでも、わざわざニューオリンズまでやってきた価値があるというものだ。演奏が終わり、会場を後にして通りに出ると、さきほどのDee Deeが男性と腕を組みながら、わたしの向かうところと同じ方向へと歩いていた。行く方向が別れるまで、わたしは街灯に照らされる彼らの背中をぼんやりと見つめながら数メートルほど歩いた。なんだか不思議な夜だった。

眠かったけれどもかなり空腹だったので、路面電車に乗る前にPopeyes Louisiana Kitchenでフライドチキンを買い、ホステルに帰着した後に食べた。お気に入りのAbita Amberでチキンを流し込んだ後は、泥のようにベッドに沈みこんで大きな眠りを貪った。

ところで、出国してからおよそ一週間が経過した。きっと残りの一週間もあっという間なんだろう。きっとまたいつかこの日々のことを思い出して、またニューオリンズに行きたくなるのかもしれないし、そうでもないかもしれない。でも、このままニューオリンズが好きだなという気持ちは根底にあるんだろうな。ありがとう。

ニューオリンズ満喫<NOLA – Day 02>

遅めの朝ごはんとして林檎をかじり、テラスで日記を書きながらぼんやりしていた。今日の予定は、まず最寄りのスーパーマーケット・ROUSESに行って食材を買い込むことである。前回ニューオリンズにいくつかのスーパーマーケットを攻めたのだが、その際に一番のお気に入りとなったのがこのROUSESである。食材の品揃えが豊富で、比較的だが価格も安い。12時前くらいにホステルを出てその店に入ったのだが、カートを押しながら商品棚をみていると、明らかにニューヨークよりも物価が安い。ニューヨークでお土産として購入したナッツバーやビールが、こちらでは3割ほど安くなっている。悔しさを噛み締めながら、追加でナッツバーやらを購入した。

わたしはビールや野菜などを買い込み、ホステルに戻ってパスタを作り始めた。トマトソースのパスタにして、赤ワインを飲みながらのんびりと調理する。最後にチェダーチーズをごっそりと載せて美味しく頂戴した。満腹になり強い眠気が襲ってきたので、まだ14時ころだったが、ベッドに入って仮眠をとることにした。昨日朝方に帰ってきてあまり寝ていなかったので、致し方ない。

目覚めるとすでに18時で、かなりの時間眠っていたようだ。19時からはハルカちゃんと約束があり、飛び起きて支度を整える。向かう先は、ルイ・アームストロング公園の向こうにあるレストランバーである。その店では本日オープンマイクが行われており、そこでハルカちゃんと落ち合う予定でいた。ハルカちゃんの他にも、ニューオリンズ在住のキーボーディストの辻さん、大阪から来ているヒューマンビートボックスのアディくんもいるらしい。

路面電車がなかなかやってこず、予定よりも遅れて到着すると、すでにハルカちゃん、辻さん、アディくんのお三方が食事をしながらテーブルを囲んでいた。彼らは出演者リストに名前をサイン済みであり、そのオープンマイクの流れについて解説してくれた。どうやら、名前を書いた順に演奏が回ってくるらしいのだが、すでに始まっているステージを見ていると、みなそれぞれ自分のギターを持ち込んでいるようである。わたしはギターを持ってきていないのでどうしようかという話をしていたら、ハルカちゃんに、一番初めに演奏していた仕切りの女性の方がギターを使っていたので、交渉すれば使わせてくれるのではないかと言う。早速、名前を記入しがてら女性に声をかける。すると、快くギターを貸してくれると言ってくれた。ありがたい。

出演者リストに記名していると、結構な出演者の数である。10組以上は名前が書かれているようだった。辻さんはこの後に別所でのギグが控えており、出番を迎えることなく9時過ぎにはその店を出ることになってしまったので、ひとまず三人でその場に残って出番を待った。しかし、勢いでオープンマイクに来てしまったものの、何を演奏しようか…ひとり最大3曲まで可能ということである。頭の片隅で選曲しながら、他の出演者たちの演奏を聴いていた。
エディくんは、ヒューマンビートボックスにてパフォーマンスした。今まで本格的なヒューマンビートボックスを聴いたことがなかったのだが、音の出し方やリズムのバリエーション、ダイナミクスのつけ方など、その華麗な技術に感嘆した。

わたしは結局、いつもながらのLean on meと、どうせならとオリジナル曲である雲のうえという曲を演奏した。Lean on meは誰でも知っていて口ずさめるし、雲のうえという曲はブルースっぽいコード進行なので、初めて聴く人でも馴染みやすいだろうと思ったからだ。一瞬むりだというオリジナル曲にしようかとも思ったが、わざわざニューオリンズで、歌詞の一節である「むりむりむりむりむりだ」と歌うのも風情がない気がしてやめた。一応英語でMCをして、乾ききった喉で歌詞を間違えながらも二曲歌いあげると、温かい声と拍手をいただいた。帰り際には何人かのお客さんとハグをした。いい思い出感が満載である。

その後、三人で連れ立ってUptownで行なわれているという辻さんの演奏を聴きにゆく。ハルカちゃんの車で連れていってもらったのだが、中心街からかなり離れたゲットー感溢れる場所で、ひとりでは絶対に来ることはないように思われた。車から降りて駐車場から店に向かうまでの十数メートルの距離でも、すれ違う黒人男性が不気味に思える。その店は中心街にあるライブバーとは異なり、演者も観客もほとんど黒人だった。それ以外といえば、わたしたちとアディくんのお友達の日本人がちらほらという程度である。

Let’s stay together、Ain’t nobodyなど、次々とソウルのスタンダードが演奏される。ふだん札幌で暮らしていると、箱バンとしてジャズの演奏は多くても、ソウルの演奏が聴けるお店はごくごく少ないので、とても新鮮である。また、ニューオリンズではこれらの演奏を飲み物代+Tipで楽しめるというのも魅力だ。グラミー賞をとった地元のバンドでもチャージが10ドルと、比較的安価で音楽が楽しめる。

Deepな店と演奏を楽しんだ後は、お誘いいただいて辻家にお邪魔した。部室と言われる飲み部屋で、お酒と謎に美味しいスープをいただいく。オープンマイクに参加していた齢90歳前後のおじいさんの話になる。昔は絶対にヒッピーだったに違いないとか、あのおじいさんが出てきてMCした時点で空気が変わったとかなんとか、とにかくおじいさんの大絶賛をして盛り上がる。最後に、部員登録として写真を撮影し、宴は終了した。Uberを使って車を呼んでもらってホステルに戻ったあとも、ワインを飲みながらゆっくりとその日を振り返った。なんだかすごく楽しかった気がする。もちろん旅人ゆえに楽しい部分が多いのだろうが、ニューオリンズがやっぱり好きだわ。

ニューオリンズへ<NY – Day 05 / NOLA – Day 01>

朝目覚めて食事をいただいてから、アルバムのジャケット等に使えればといくつかの写真を撮影し、昼前にはNoriさん宅を後にしてニューオリンズへと向かった。地下鉄を乗り継いでJFK空港に着いたのは出発してから約2時間後だった。どこかで乗り継ぎを間違ってしまったのかと若干不安になるが、無事に空港に到着できたので安心する。

4時間弱のフライトでは殆ど眠っていたので、あっという間にニューオリンズの空港へと着陸した。その頃には夕暮れ時に差し掛かっており、空港内の一面に広がる大きなガラスの壁からはオレンジ色に滲む太陽が見えた。一昨年に初めてニューオリンズを訪れた際にも、これと同じように大きな夕日を見た。空港からタクシーに乗って、ホステルへと向かう。高速道路を抜けてダウンタウンまでやってくると、反対車線に列をなして車が止まっている。運転手が、今日はマルディグラの最終日だから渋滞しているんだと言う。ちょうどすべてのパレードが終わったばかりのようで、タクシーから降り立って舗道を歩いていると、ぞろぞろと帰宅するアフロ・アメリカンの人々の群れとすれ違った。大人も子供も極彩色の服で着飾り、フラフープなどの小物を手にしている。

それらを尻目にホステルに到着し、早々にチェックインを済ませる。前回、そのホステルには3週間にわたって滞在しており、戸惑うことなく荷物をおさめた。その後、夜のお目当のギグまでには少し時間があったので、テラスで一休みした。その少し大きめのテラスには10脚ほどの椅子といくつかのテーブルが並べられ、宿泊している人々が集う場所となっている。その時は二人の男性がギターを弾きながら歌っており、その周りを数人の宿泊客が囲んで楽しそうに手を叩いたり、ともに歌ったりしている。ニューオリンズは暖かいだろうと思って薄着をしてきたため少し肌寒いが、彼らが奏でるHallelujahやRedemption Songを聴いていると、心が和んで温まった。

しばしの休息のあと、ハルカちゃんとセイゾーさんが演奏する店のあるFrenchmen Streetへと向かった。マルディグラのパレードのため、路面電車が走っていないので、40分ほどかけて歩いてゆく。パレードが去ったあとの通りはゴミだらけで、食べ物のトレイや飲み物のカップ、ビニール袋、マルディグラに使われる数珠状のネックレスなどが辺り一面に転がっており、歩みを進める度に何かを踏みつける。時折、それらのゴミの中を漁っている人も見かけた。繁華街であるフレンチクオーターまでやってくると人通りも多く、おそらく観光客であろう白人たちが思い思いの仮装をして辺りを練り歩いていた。時々土産物屋に立ち寄り、お土産の下見をして楽しみながらFrenchmen Streetに着いた。数々のライブバーが立ち並ぶその通りでは、舗道に設置されたスピーカーからダンスミュージックが大きく鳴り響いている。それに合わせて踊る酔客であたりは溢れかえっており、通りの一部自体がダンスフロアになっていた。

21時過ぎから始まったハルカちゃんの演奏は、24時くらいに終了した。男性ボーカルが大きな羽をあしらった真っ赤なマルディグラ・インディアンの格好をしており、パレードを見逃した私には嬉しかった。その後、セイゾーさんの参加するバンドの演奏は、朝方の4時まで続いた。少しセイゾーさんとお話をしたかったので終演までいたのだが、演奏中に立ち疲れて椅子に座っていると、非常にくねくねと踊る黒人女性が寄ってきて、立って一緒に踊ろうとアピールしてきた。そういえば、前回ニューオリンズに来た際にもこういったお姉さんに踊ろうと促されたことを思い出す。ちょうど体も冷え切っていたので、わたしは彼女の手を取り立ち上がった。動いて温まろう。

しかし何かがおかしい。その女性はやたらと体を密着させてくるし、終いにはさらりとケツまで触る。レズビアンなのだろうか。不審に思ってよくよく見ると彼女には女性らしい乳がない。どちらかというと筋肉じゃん…男だったか…。途端に態度を豹変させてもどうかと思ったので、それとなく飲み物を頼みにカウンターにゆくことで彼から離れ、後ろから様子を伺ってみた。すると、彼はその隣にいる女性と合体ダンスを始めた。合体ダンスとはわたしの造語であるが、よく外国人客のいるクラブ等で行われる男女密着型のダンスのことである。女子のバックから男子が攻めるやつね。わたしもこれを求められていたのだろうか…げに恐ろしい…。

そこから無事に離脱した後も、ひとりで何時間もずっとそのバーにいたためか、5〜6人の男性に声をかけられた。人生初のモテキ到来である。まあ英会話の実習であると思いながら、意外と楽しくその場をやり過ごした。演奏後は、お疲れのところ大変申し訳ないのだが、有難いことにセイゾーさんと奥様に車で送っていただき、危険に晒されることもなくホステルに帰着した。

ところで、わたしはいま件のホステルのテラスでこれを書いているのだが、隣のテーブルから立ち上がった女性の後ろ姿をふと見ると、スパッツを履いた彼女の大きな臀部の中央が4〜5センチほど破けている。彼女はそのまま建物のドアの向こうへと消えていったのだが、この後どうするべきか非常に困っている。伝えるべきか、伝えざるべきか。誰かわたしに英語でアドバイスをください。というわけで明日のニューオリンズ二日目に続く。

いよいよ本題<NY – Day 04>

いよいよ本日から本格的にレコーディングが始まる。緊張していないといえば嘘になる。いや、正直に言えば、とてつもなく緊張している。どこでもドアがあったら、一度札幌の自宅に戻ってビールの一杯でも引っ掛けたいところだ。そんな落ち着かない状態でいると、腹部に音が響きはじめた。体の内側にある管に断続的に気泡が流れていくような、いつものあれである。端的に言えば、お腹がぐるぐるしている。景気づけにと思い、朝ごはんにカレーを食したことが逆効果だった模様だ。我ながら非常に残念である。

とはいえ、そんなことにめげてもいられない。気分転換も含めて軽く発声練習をし、譜面や歌詞を見返す。そうこうしているうちに、今回ピアノを弾いてくれるベン、そしてドラムのダリアンが現れる。わたしは慌てふためいて挨拶をするのがやっとである。とりあえず、というのも失礼な話かもしれないが、日本から持ってきたバレンタインチョコを渡して様子を伺う。ふたりとも、ありがとうと言って笑顔を返してくれる。とても物腰が柔らかくていい人たちそうで安心する。

ちょっと緊張しているんだよね、とダリアンに言うと、緊張しないでいい、とても楽しくてエキサイティングなことじゃないか、と笑顔で言われる。ダリアンはとてもフランクな雰囲気で話をしてくれるのだが、さらに時折ウインクを挟みこむ。片目だけを一瞬パチリと自然に閉じるのである。これぞアメリカン。一方、わたしはウインクができない。その後、鏡でウインクの練習をしてみたが、片目だけをスムーズに閉じることができず、全体的に引きつったような顔になる。鍛錬を積み重ねれば美しいウインクができるようになるかもしれないが、有効活用できる場面が思い浮かばなかったので、鍛錬はしないことにした。

ベンはベンで、とても知的で紳士的な印象で、少しだけ日本語が喋れるということを日本語で言ってくれたり、演者の皆さんで歓談している際には、気を遣ってわたしに話をふってくれる。ごめんね、わたしあんまり英語しゃべれないんよ…と申し訳ない気持ちになるが、とてもありがたいことである。また、いい曲だね、力強い声だね、と声をかけてくれたり、その場を気持ちよく過ごすために細やかな心配りをしてくれた。

そして、およそ5時間に渡りバンド演奏が行われ、わたしは仮歌を歌い、時折仮ギターを入れたりと、6曲ほどでその日の録音は終了した。詳細については触れないが、わたしのオリジナル曲が魔法にかかったみたいにどんどん豊かに膨らんでいったのは言うまでもないことである。

録音が終了した時刻が夕方ごろだったので、いい機会だと思って息子ちゃんと娘ちゃんと遊んだ。先日から遊ぼう遊ぼうとせがまれていたのだが、そんな余裕がまったくなかったので、今日の第一弾の録音が完了した時点で少しでも遊べたらよいなと思っていたのである。

息子ちゃんとファミコンでスーパーマリオをし、娘ちゃんとはトランプなどのカードゲームをした。ファミコンは得意ではなかったので大敗をきっしたが、カードゲームに関しては、ババ抜き・神経衰弱・カルタとすべてにおいて圧倒的な勝利を収めた。大人気ないとは思ったが手加減なしの本気である。こういうときこそ、世の中の厳しさを子供に教えなければならない。

娘ちゃんは小学校の低学年なのだが、接していると非常に面白い。誰かに接するときには人生で出会ってきたいくつかの人をサンプルとして頭に並べ、それらの人と接触した経験の中からこれが正解ではないだろうかと判断しコミュニケーションを図るのだが、小学生に関しては知り得ているサンプルがほぼ皆無なので、自分の小さいころを思い出すしかない。しかし、どうにもこうにも彼女とは性格が真逆のようで、小さいころのわたしは参考にならない。

思い出せる範囲で思い出してみると、おそらくわたしは今と相違なく非常に内向的な性格だった。近所の子供達のコミュニティには全く馴染めなかったし、学校でもグループのようなものに所属すらしなかった。時折仲良く遊ぶ友人がいたような気はするが、その後中学校に進学してから彼らとの付き合いがなくなったことを考えると、大した仲ではなかったように思う。人と関わって何か楽しいことをするよりも自分の頭の中で遊ぶのが好きで、いわゆる物語のようなものを愛していた。図書館に通って小説を手当たり次第に読んだし、もちろん漫画もよく好んで読んだ。後に映画を貪るように見ていた時期があったのも、そういった素地があったからだろう。

一方で、この家の娘ちゃんはわたしのような内向的な性質には見えない。本当によく笑うし、何かと騒がしい。人懐っこく、ちょっとしたときに手を握ってくるのも可愛らしい。小さな手は頼りないけれども温かくて、手を握られるたびにはっとする。彼女は、はじめは私のことを「あのひと」といっていたが、次には「かなでさん」、そしていまや「おねえちゃん」と呼んでくるようになった。接触しはじめてたった数日間であるが、かなり距離を縮めたのではないだろうか。年齢を重ねればきっとわたしのことは簡単に忘れ去ってしまうのだろうけど。

やがて子供達が就寝したので、タイミングを見計らってわたしも仮の自室へと戻る。少し眠気が強くなったので、ベッドに横たわっていると、いつの間にかがくりと意識を失って眠りに落ちていた。

夜の12時を回った頃に、壁の向こうからピアノの音が聴こえて、短い眠りから覚めた。隣の家から、とても拙い、エリーゼのためにが聴こえる。弾いているのはきっと子供だろう。中途半端に目覚めてしまってすぐには寝つかれないような気がしたので階下に降り、冷蔵庫からビールを掴んで自室に戻ったところ、すでにピアノの音色はやんでいた。少し煩わしいなと感じたものがなくなってしまうのも、それはそれで寂しいものである。空腹にビールを流し込んで、来週の歌の録音ではどういったコーラスをいれようか、などと考えながらまた浅い眠りに身を沈めた。

明日からは五日ほどニューオリンズに滞在する。到着日となる明日は、ニューオリンズの年に一度の祭典・マルディグラの最終日である。前回のニューオリンズの滞在の折に出会ったトロンボーンのハルカちゃん、ギターのセイゾーさん、ともに連絡が取れた。彼らは明日、同会場でギグがあるらしいので足を運ぶ予定だ。とても楽しみである。

胃腸が強くなりたいものです<NY – Day 03>

わたしと言えば胃腸炎である。だいたい慣れない環境に身を置くと胃腸炎になる。平素からのことなので大分慣れてしまっていて、病院にいく必要などもちろんないのだが、それでもやはり旅先、特に海外でそうなってしまうと非常に困ることがある。トイレ問題である。まだ滞在先の家の中であれば何とかやり過ごせるのだが、外出するとトイレはどこにあるかを事前に把握しておく必要がある。本日は朝からお腹の調子が悪く、連日飲み過ぎているせいだと反省する。ごめんね自分のお腹。

それが落ち着いた後、朝御飯にサーモンとクリームチーズのベーグルをいただき、本日の予定を決めた。明日からレコーディングが始まり、ドラム・ピアノ・ベース・仮歌・仮ギターの録音となるので、心の準備をしなければならない。この期に及んで何を頑張っても気休めだとわかっているが、声を出し、お借りするギターに慣れるため、数時間ほどの練習時間を設ける。あまりやりすぎても良い結果を生まないような気がしたので、数時間に止めておくことにした。その後、おそらく今回のニューヨーク滞在での唯一の空き時間となるので、マンハッタンに行き、少しだけ観光するという予定にした。

今回、わたしは8曲中の半分くらいはバッキングのギターを弾くことになったため、かなり緊張していた。もう6年ほど前に収録した初めてのアルバムで1曲だけギターを録音したことがあるものの、こんなに多くの楽曲でギターを弾くのは初めてである。渡米初日に、Noriさんから曲によってギターを変えるかもしれないというお話があり、寝泊りしている部屋には今もセミアコ、ストラト、アコギの3本のギターがある。自分が所有していない、触ったことのないギターを使用するにも不安があった。わたしにできるのだろうか。幸いなことに、わたしに合わせて弦高などの調整をしていただいたので非常に弾きやすくなり、わたしはわたしで、折に触れてギターに親しむことに努めた。

さて、声出しならびにギター練習をひと通り終えた頃には、すでに時計は午後の2時を回っていた。そろそろ出立しなければ、美術館の開館時間を過ぎてしまう可能性がある。慌ただしく家を後にし、小雨のちらつく中、地下鉄を目指す。ニューヨークで初の地下鉄乗車である。ロンドンで地下鉄に乗ったときもそうだったが、初めての地下鉄はちょっとしたアミューズメントである。いや、ロールプレイングゲームというべきか。地下鉄の路線図を見ながら、目的地へと進む行程は、決して嫌いではない。また、以前の仕事で、散々東京のあちこちに行った経験があるので、多少複雑な乗り継ぎなども得意である。

今回地下鉄に乗っていて思ったのは、乗車している人々を見るのが非常に興味深いということである。特に黒人女性にスタイリッシュな服装をしている人が多く、見事に均整のとれた体躯も相まって、これがニューヨークか…と感心する。例えば、はじめに乗り込んだ地下鉄車内で向かいに座った女性は、黒いキャップに皮ジャン・パンツと、リズムネイションのジャネット・ジャクソンのような出で立ちだった。顔立ちもはっきりとしていて美しい。

本来ならば地下鉄に乗り一度の乗り換えでマンハッタンまでいけたところ、一つの線が途中で止まってしまっていたので、他の線に移らざるを得ず、二回乗り換えをしたところでメトロポリタン美術館の最寄りの駅に着いた。その頃にはさらに雨足が強くなっており、色とりどりの傘をさした人々とともに美術館までの10分ほどの道のりをゆく。地図に従って歩くと、道の先に古めかしい壮大な美術館が姿を現した。さすが世界の三大美術館である。もともとは白かったであろう壁面は経年により赤みを帯びた灰色に染められ、入り口を支えるいくつかの柱が威厳をもって長くそびえ立っている。入り口前の階段を登り始めた頃に時計をみると、すでに時計は午後4時を回っていた。閉館時間は午後5時半なので、わずか1時間ほどしか入館できない。

そして、その入館の折には非常にトイレにいきたくなってしまい、まず最初にパンフレットを受け取らずにトイレを探して美術館内をさまよってしまったのが、運の尽きである。無事に用を足して、周りを見渡すと、どこが入り口だったのかもよくわからない。足の向くままに見てみるか、と歩き始めて幾つかの部屋を巡ったものの、進むごとにどんどんエジプト色が強くなってゆき、気がつけば周りにはファラオだらけである。申し訳ないが、ファラオにはそんなに興味がない。

ここはインターネット様のお力を借りようと、メトロポリタン美術館の情報をiPhoneで検索すると、クリムトやゴッホ、セザンヌとわたしが好きそうなところの画家の絵があることがわかった。歩いていればやがてそれらに辿り着けるかもしれないという甘い目論見のまま、足を進めているうちに、美術館のスタッフらしき男性から、あと5分だよと言われる。閉館時間まではあと20分ほどあるのだが、美術館があまりに広大であるため、入館者の追い出しが早いようだった。かくしてわたしは、たくさんのファラオたちを見ただけで、退出せざるを得なかった。

不完全燃焼のまま美術館を後にし、歩いてタイムズスクエアを目指した。セントラルパークに沿って通りを歩いていると、すでに日が落ちて薄暗い闇が忍び寄る中、立ち込めた白い靄が公園内から漂ってくる。通りから公園を見やると、半透明の白妙のような靄のなかに連れ立って歩いている男女がいる。なんだか幻想的で映画を見ているようだ。わたしはStrollin’ in the park〜♪と某曲の一節を口ずさみながら、少し得したような気持ちでそこを通り過ぎていった。

歩いて辿り着いたタイムズスクエアは、通りに面した数々の建物の一面に巨大な電光掲示板がたくさん張り付いているという印象だった。電光掲示板がずらりと並ぶその一画は、著しく眩しくて人工的に明るく、ブレードランナーで描かれた近未来の一場面が思い出された。そして、雨がまだ小さく降り続いている中だったが、行き交う人も多ければ、写真を撮っている観光客も多い。この場所を決して好きにはなれないが、確かに観光する分には物珍しくていいのかもしれない。

タイムズスクエアには特段興味はなく、立ち寄りたい場所もなかったので、そのまま地下鉄に乗り込み、次の目的地に向かう。Brooklynでセッションをやっているバーがあるらしい。地下鉄を乗り継いでそのバーに着くと、看板にはイラストで傘が描かれ、その傘の中に雨が降っているという意匠だった。今日みたいな雨の日にぴったりのバーのように思えた。バーに入ってビールを飲んでいるうちにNoriさんも現れ、一曲だけ歌わせていただいた。曲はさきほど頭に浮かんだFeel like makin’ love。ここまできてこの曲を歌うとは思わなかったが、ジャズのセッションで唯一歌えるそれらしい曲だったので選んだ次第だった。

そのバーからの帰り道でまたひとつ再会があったのだが、それはまた別の機会にしたためることにする。この3日目の出来事を書き留めている今日は、いよいよレコーディングの初日だからである。階下では、恰幅の良い小父さんがピアノの調律をしており、ぽろぽろとしたピアノの単音が聴こえる。それではまた。今日という明日に続く。

時差により病的に眠い<NY – Day 02>

ニューヨークは札幌よりも寒いと聞いていたので、ユニクロで衣服を幾つか買い足し、自分の思いつく限りの寒さ対策をして渡米したのだが、その準備の意味はなかったと、この二日目に結論づけることになる。

外気は札幌よりも断然暖かい。そして、家の中もまた暖かい。一日目に感じたそれは、二日目においても同様だった。むしろ、厚着をしすぎて気持ち悪くなるくらいだった。よって、いつも札幌で着ているような薄手の白いシャツにデニムのスカートという出で立ちで二日目を過ごすことにした。滞在先のご家族からは薄着であることを心配されたが、非常に快適である。

この滞在2日目は、Noriさんのお知り合いの方のトリオのレコーディングがあるということで、午後からそれを見学する予定になっている。その前に、家の周りを散策しがてら近場のコインランドリーに行った。奥さんに頂戴した手書きの地図を片手にコインランドリーらしき建物に辿り着く。OPENという札のぶらさがった銀色のドアを開けると、殆ど洗濯機は埋まっているような状態だったが、ひとつだけ空いていた。その洗濯機の前に立って使い方の書かれた文字板をみるが、なんとなく使い方は読み取れたものの、肝心のコインはいくら必要で、洗剤はどうすればよいのかが書いていない。これは困ったと思い周囲を見渡してみると、ドレッド頭の黒人女性が椅子に腰掛けて洗濯物の洗い上がりを暇そうに待っていた。これは聞いてみよう。いやむしろ、聞いてみるしかない。

拙い英語で彼女に話しかけると、わたしの言わんとするところを汲んでくれたようで、ともに洗濯機の前に立ってあれこれと親切に説明してくれる。コインは25セントが複数枚必要だということで、両替も手伝ってくれた。しかしコインがなかなか機械に入ってくれない。すると、近くにいた老婦人が見るに見かねて、強引にコインのスロットを押してくれた。そうすると、コインは無事に機械に飲み込まれていった。しかし、それから数秒が経過したものの、今度はコインを入れれば始まるはずの洗濯が始まらない。戸惑っているとまた老婦人が登場し、穏やかな風貌とは裏腹に機械の蓋をえいやと力強く押す。すると、水が流れ出し、洗濯槽が回転を始めた。無事に洗濯が始まったようである。

椅子に腰掛け、隣に座る黒人女性が口ずさむ小さな鼻歌のようなものを聞きながら待つこと30分、機械が止まったところで衣服を取り出すものの、それには湿り気があった。そのとき、使っていた洗濯機には乾燥機がついていないことを知る。のちに乾燥機は別の機械であることを知るのだが、その瞬間はこのまま持ち帰るしかないと思い込んでしまった。しかし、滞在先にはもう干すところがないと聞き及んでいる。その時わたしは思った。ここはやはりS字フックしかない。

S字フックをご存知だろうか。もちろん鼻フックの進化系ではない。Sの形をした、何がしかのものを引っ掛けるために生産された金属製のフックである。これはわたしが海外に行く際に必ず持っていく便利グッズで、ホステルで洗濯物を干す際は大概それに適した場所がないので、二段ベッドの柵などにこのS字フックをぶら下げて洗濯物を干すのである。寝泊りさせてもらっている部屋の天井に細い管があり、その管と天井の隙間にS字フックをかければ十分に洗濯物が干せることは予め確認していた。多分そんなことをするのはわたしくらいしかいないだろうが。

ランドリーを後にし、部屋に戻ってS字フックの大活躍にて洗濯物を干し終えると、今度は駅前の散策に向かった。お土産の物色のためである。昨日連れて行ってもらった界隈のスーパーマーケットを回る。娘ちゃんおすすめのナッツバーとロシア系スーパーマーケットで目にしたピスタチオのチョコレートを購入する。その道の途中、駅前の近くで大きなウッドベースを持った日本人らしき二人組を見かける。ひとりは関西弁を口にしており、もしかしたら今日レコーディング予定のトリオの方々なのかもしれないと思いながらも、ここで声をかけても変な人だと思われるだろうなと思い、傍を通り過ぎる。帰る頃には小雨がぱらつき、コートのフードをかぶって帰路についた。

滞在先の家に戻ると、録音予定のトリオのお三方が集合しており、案の定さきほど見かけた男性二人もその中にいた。ご挨拶をさせていただき、居間で行なわれた演奏前の歓談に同席させてもらう。腰の柔らかい明るいお人柄の皆さんで、たまたま同席しているだけのわたしにもとても優しくてありがたい。お話がひと段落したところで、いざレコーディングに突入した。

しかし、そのときのわたしは時差のためか強烈な眠気と疲労感に襲われており、寝室として過ごしている部屋から音を漏れ聴くことしかできなかった。ベッドの上に横たわり、寝ては覚めを繰り返して、それとなく演奏や話し声からレコーディングの様子を伺った。軽快で鮮やかなジャズのトリオ演奏を耳にしてうつらうつらとしているのは、とても幸せなことでもあった。数時間ほどそういった時を過ごして、体調の回復の兆しが見えた頃に、ちょうどミックスを見学させていただくことができ、辛うじて本日の責務の一端を完遂した。

その後、食事とともにお酒を嗜み、奥様にはたくさんのお話につきあっていただく。人は話す内容よりもどう話すかを見ているとはよく言ったもので、彼女のお話の内容もさることながら、その話し方から、強くて優しくてとても素敵な人なんだなと感じた。わたしも誰かにそういう気持ちを与えれる人になりたいな。

夜半に差し掛かり、ずっとお付き合いいただくのも申し訳なくて居間をあとにしたわたしは、最終的に寝室にて残り4センチのワインを飲みながら、酒の染み渡るぐらついた頭で明日以降のことを考えていた。それから、3月の自主企画ライブのことも思い出したりして、ニューオリンズの滞在中に譜面と音源をあげるしかないとかなんとか思案を巡らしていた。慣れない環境のせいというよりも、昼寝をしてしまったからに他ならないが、なかなか眠りにつけない。日本時間は何時だろうか。昼の15時ころだ。ラーメン食べたい。スープカレー食べたい。焼き鳥食べたい。帰国まで我慢。そうこうしているうちに、静かな眠りに吸い込まれていった。

ニューヨーク初日<NY – Day 01>

2月9日から、久しぶりに渡米している。主な目的は、自分が作った楽曲を現地で録音することだ。
始めはニューヨークに渡り、その後ニューオリンズ、そしてまたニューヨークに戻ってくるという旅程を組んだ。その期間は、ほぼ2週間となる。
なぜそうするに至ったかというと、一昨年の6月にニューオリンズに赴いた際に、札幌出身・ニューヨーク在住のNoriさんに偶然出会ったからである。その際にニューオリンズで行われたレコーディングの様子を見学させていただいたり、Noriさんから自分のCD制作が可能であることを伺い、その後、彼のプロデュースにより、アルバムを制作することになった。

アメリカに渡るのはそのニューオリンズの旅以来となるが、その間、職場に外国人の来訪者が多かったり、大して聞き取りができないものの英語での打ち合わせも少なからずあったので、以前のように英語を発する人に対して一歩退きたくなるような苦手意識が和らいでいる状態で渡米に臨めた。英語のスキル自体は大きく向上していないものの、そういった意識が変わっていたため、準備段階から比較的落ち着いた気持ちでいられたように思う。

ニューヨークに向かう飛行機に乗ると、数多くの乗客が日本人で、ロンドンにいったときにように外国人ばかりという状況とは違っていた。あのときは、飛行機に乗り込んだ時点で外国にいるような感覚だったが、今回はまだ飛行機の中でも日本にいるように思えた。

およそ12時間にわたるフライトを終えて降り立ったJFK空港は、思ったよりもずっと小規模な空港で、降り立つ旅客も少なかった。前回ニューオリンズに向かう飛行機の乗り換えが超巨大なダラス空港だったので、都市の規模に比例して空港が大きいという刷り込みがあったのかもしれない。また、到着したのが第七ターミナルだったので、他のターミナルはもっと人が多かったのかもしれないけれど。

ありがたいことにNoriさんが車で迎えにきてくださるということで、空港にてその到着を待つ。はちきれそうなスーツケースとリュックサックを床に置いて、一呼吸しながらベンチに腰掛けてぼんやりしていると、突如として耳に痛いサイレン音が空港内に鳴り響いた。騒然とするほどの人影もない狭い空港内で、警備員らしき男性が何事かとうろついている。しかしカウンターにいる制服を着たスタッフといえば、涼しい顔で立っているだけだった。一瞬「テロだろうか…この地味な空港で?」と思ったが、そのような大それた事件ではないようだった。結局それが何のサイレンだったのかわかることがないまま、Noriさんが到着し、車に荷物を詰め込んで空港をあとにする。向かうはBrooklynにあるNoriさんのご自宅兼プライベートスタジオである。つらつらとお話しをしたり、車窓の外に流れる冬の荒涼とした木々を眺めたりしながら、30分ほどでそのご自宅に到着する。1920年代に建設されたという風情ある家に早速お邪魔して、肩に重くのしかかる荷物を置かせていただいた。

そこでしばし休憩したのち、彼のお子さんのお迎えに同行することになった。市の規則なのか州の規則なのかはわからないが、ある一定の学年までは親御さんが子供を送迎をしなくてはならないそうだ。小学校へと歩いて向かう道すがら、この街のことについて聞いた。マンハッタンから13マイルほど離れたこの街はユダヤ系やロシア系の移民が多いそうで、道を歩いていると、確かにユダヤ系特有と思われるたっぷりとした髭に黒い帽子やコートを身につけた男性が散見するし、すれ違う人が口にする言語が確実に英語ではないロシア語のようなものだったりした。日本、特に北海道では、そういった人種のコミュニティが街の風合いを作っている様子をあまり見かけないので物珍しかったし、文化として面白いなと感じた。想像に難くないように、それが顕著たるのは食文化で、この街にはロシアの食材ばかりを扱ったスーパーマーケットなどがあるらしい。

向かった小学校は、歩いてほどないところにあった。寒空にそそり立つ煉瓦造りのいかにも外国然とした小学校の建物の玄関口には、子供を待つ数十人ほどの親の人集りができており、さながら日本の卒業式のようだった。ドアの向こうから続々と子供が現れ始めるとと、その親が手をあげたり、声をかけたりして、子供を出迎える。ルネッサンスの絵画に描かれている天使のように可愛らしい子供も多く、外国に来た感が高まる。何人かの親が子供を迎えてその場を離れてゆき、徐々にその人集りが減ってきたころに、ピンク色のジャケットを着た娘ちゃんが現れた。お互いにぎこちない挨拶をして、その小学校を離れた。

そのお迎えをした後は、子供たちが小学校に隣接する公園で遊ぶのを見守った。子供が公園で遊ぶ際にも親が同伴する必要があるらしい。また、この放課後の時間にはそういった親子がいつもこの公園を利用するらしく、それらの親子に向けて、桃色の綿飴を売っている小母さんがひとり公園の中央に佇んでいた。時折、その細長い形状の綿飴を親が子供に買い与えている姿を目にする。日本の縁日で売っている綿飴よりもひと回りもふた回りも小さいが、大きさとしては手頃でよさそうに見えた。綿飴ひとつの値段はいくらぐらいで、この小母さんは毎日どれくらいの売り上げがあるのだろう。もちろん、これ以外の仕事もしていて、ここにはこの時間だけやってきているんだろうな、といつもながら余計なことばかりを考えてしまう。

そんなわたしの想像はさておき、何人かの親の見守りの中、子供たちは喚声をあげながら、走り回ったり他の子供に体当たりしたり、冷え切っているであろう遊具にしがみついたりしていた。滑り台を頭から滑る子がおり、なかなか斬新だなと感心する。しかし、正直なところ、それらの何が楽しいのかよくわからない。自分の小学生のころを思い出そうと努力してみたが、その感覚は決して蘇りはしなかった。そのことをNoriさんに告げると、思うに大人はたくさん楽しみを知っているけれども、子供は楽しみが少ないからではないのか、とのことだった。そのお話に相槌をうちながら、確かに私は酒という大人の楽しみを知っているなと心の中でひとりごちた。子供はお酒飲めないもんね。

子供たちの公園遊びを見守ったあとは、家の最寄り駅の近くの界隈に買い出しにいった。わたしは大のスーパーマーケット好きであり、それをNoriさんにお話ししたため配慮してくださったようで、何件かのお店に足を運んだ。ロシアの食材がたくさん置いてあるマーケットや、大手チェーンらしきドラッグストア、ワインなどを取り揃えた酒店などを覗く。酒店では、滞在4日分のお酒をと思い、大きな瓶のワインを購入した。

その後、夕食をご家族とともにご一緒した。家族のいる家庭にお邪魔するのは昨秋の寺下家以来で、賑やかで楽しかった。そのころには、始め人見知りしていた娘ちゃんも私に慣れてきたようで、いろいろと話しかけてくれるようになった。宴が進む中、彼女がAlicia KeysのGirl on fireを歌ってくれて、とても可愛らしかった。彼女の見た目はもちろん日本人なのだが、当たり前に発音がネイティブで羨ましい。

家庭の温かさに触れて楽しくお酒とご飯をいただいていると、突然娘ちゃんが電気を消して居間が真っ暗になった。また何かの悪戯かなと思っていたところ、台所のほうから、蠟燭に火が灯ったケーキを持った奥さんが出てきた。そうだ、本日は私の誕生日だった。おそらくFacebookで私の誕生日を知り、ケーキを用意してくれたのだろう。思いがけないそのプレゼントがとても嬉しくて、ついついお酒をたくさん飲んでしまった。気がつくと、4日分と思っていた1.5リットルのワインの瓶にはあと残り4センチ分くらいしかなかった。

というわけで、滞在1日目から泥酔。ほんとすみません。