ニューヨーク初日<NY – Day 01>

2月9日から、久しぶりに渡米している。主な目的は、自分が作った楽曲を現地で録音することだ。
始めはニューヨークに渡り、その後ニューオリンズ、そしてまたニューヨークに戻ってくるという旅程を組んだ。その期間は、ほぼ2週間となる。
なぜそうするに至ったかというと、一昨年の6月にニューオリンズに赴いた際に、札幌出身・ニューヨーク在住のNoriさんに偶然出会ったからである。その際にニューオリンズで行われたレコーディングの様子を見学させていただいたり、Noriさんから自分のCD制作が可能であることを伺い、その後、彼のプロデュースにより、アルバムを制作することになった。

アメリカに渡るのはそのニューオリンズの旅以来となるが、その間、職場に外国人の来訪者が多かったり、大して聞き取りができないものの英語での打ち合わせも少なからずあったので、以前のように英語を発する人に対して一歩退きたくなるような苦手意識が和らいでいる状態で渡米に臨めた。英語のスキル自体は大きく向上していないものの、そういった意識が変わっていたため、準備段階から比較的落ち着いた気持ちでいられたように思う。

ニューヨークに向かう飛行機に乗ると、数多くの乗客が日本人で、ロンドンにいったときにように外国人ばかりという状況とは違っていた。あのときは、飛行機に乗り込んだ時点で外国にいるような感覚だったが、今回はまだ飛行機の中でも日本にいるように思えた。

およそ12時間にわたるフライトを終えて降り立ったJFK空港は、思ったよりもずっと小規模な空港で、降り立つ旅客も少なかった。前回ニューオリンズに向かう飛行機の乗り換えが超巨大なダラス空港だったので、都市の規模に比例して空港が大きいという刷り込みがあったのかもしれない。また、到着したのが第七ターミナルだったので、他のターミナルはもっと人が多かったのかもしれないけれど。

ありがたいことにNoriさんが車で迎えにきてくださるということで、空港にてその到着を待つ。はちきれそうなスーツケースとリュックサックを床に置いて、一呼吸しながらベンチに腰掛けてぼんやりしていると、突如として耳に痛いサイレン音が空港内に鳴り響いた。騒然とするほどの人影もない狭い空港内で、警備員らしき男性が何事かとうろついている。しかしカウンターにいる制服を着たスタッフといえば、涼しい顔で立っているだけだった。一瞬「テロだろうか…この地味な空港で?」と思ったが、そのような大それた事件ではないようだった。結局それが何のサイレンだったのかわかることがないまま、Noriさんが到着し、車に荷物を詰め込んで空港をあとにする。向かうはBrooklynにあるNoriさんのご自宅兼プライベートスタジオである。つらつらとお話しをしたり、車窓の外に流れる冬の荒涼とした木々を眺めたりしながら、30分ほどでそのご自宅に到着する。1920年代に建設されたという風情ある家に早速お邪魔して、肩に重くのしかかる荷物を置かせていただいた。

そこでしばし休憩したのち、彼のお子さんのお迎えに同行することになった。市の規則なのか州の規則なのかはわからないが、ある一定の学年までは親御さんが子供を送迎をしなくてはならないそうだ。小学校へと歩いて向かう道すがら、この街のことについて聞いた。マンハッタンから13マイルほど離れたこの街はユダヤ系やロシア系の移民が多いそうで、道を歩いていると、確かにユダヤ系特有と思われるたっぷりとした髭に黒い帽子やコートを身につけた男性が散見するし、すれ違う人が口にする言語が確実に英語ではないロシア語のようなものだったりした。日本、特に北海道では、そういった人種のコミュニティが街の風合いを作っている様子をあまり見かけないので物珍しかったし、文化として面白いなと感じた。想像に難くないように、それが顕著たるのは食文化で、この街にはロシアの食材ばかりを扱ったスーパーマーケットなどがあるらしい。

向かった小学校は、歩いてほどないところにあった。寒空にそそり立つ煉瓦造りのいかにも外国然とした小学校の建物の玄関口には、子供を待つ数十人ほどの親の人集りができており、さながら日本の卒業式のようだった。ドアの向こうから続々と子供が現れ始めるとと、その親が手をあげたり、声をかけたりして、子供を出迎える。ルネッサンスの絵画に描かれている天使のように可愛らしい子供も多く、外国に来た感が高まる。何人かの親が子供を迎えてその場を離れてゆき、徐々にその人集りが減ってきたころに、ピンク色のジャケットを着た娘ちゃんが現れた。お互いにぎこちない挨拶をして、その小学校を離れた。

そのお迎えをした後は、子供たちが小学校に隣接する公園で遊ぶのを見守った。子供が公園で遊ぶ際にも親が同伴する必要があるらしい。また、この放課後の時間にはそういった親子がいつもこの公園を利用するらしく、それらの親子に向けて、桃色の綿飴を売っている小母さんがひとり公園の中央に佇んでいた。時折、その細長い形状の綿飴を親が子供に買い与えている姿を目にする。日本の縁日で売っている綿飴よりもひと回りもふた回りも小さいが、大きさとしては手頃でよさそうに見えた。綿飴ひとつの値段はいくらぐらいで、この小母さんは毎日どれくらいの売り上げがあるのだろう。もちろん、これ以外の仕事もしていて、ここにはこの時間だけやってきているんだろうな、といつもながら余計なことばかりを考えてしまう。

そんなわたしの想像はさておき、何人かの親の見守りの中、子供たちは喚声をあげながら、走り回ったり他の子供に体当たりしたり、冷え切っているであろう遊具にしがみついたりしていた。滑り台を頭から滑る子がおり、なかなか斬新だなと感心する。しかし、正直なところ、それらの何が楽しいのかよくわからない。自分の小学生のころを思い出そうと努力してみたが、その感覚は決して蘇りはしなかった。そのことをNoriさんに告げると、思うに大人はたくさん楽しみを知っているけれども、子供は楽しみが少ないからではないのか、とのことだった。そのお話に相槌をうちながら、確かに私は酒という大人の楽しみを知っているなと心の中でひとりごちた。子供はお酒飲めないもんね。

子供たちの公園遊びを見守ったあとは、家の最寄り駅の近くの界隈に買い出しにいった。わたしは大のスーパーマーケット好きであり、それをNoriさんにお話ししたため配慮してくださったようで、何件かのお店に足を運んだ。ロシアの食材がたくさん置いてあるマーケットや、大手チェーンらしきドラッグストア、ワインなどを取り揃えた酒店などを覗く。酒店では、滞在4日分のお酒をと思い、大きな瓶のワインを購入した。

その後、夕食をご家族とともにご一緒した。家族のいる家庭にお邪魔するのは昨秋の寺下家以来で、賑やかで楽しかった。そのころには、始め人見知りしていた娘ちゃんも私に慣れてきたようで、いろいろと話しかけてくれるようになった。宴が進む中、彼女がAlicia KeysのGirl on fireを歌ってくれて、とても可愛らしかった。彼女の見た目はもちろん日本人なのだが、当たり前に発音がネイティブで羨ましい。

家庭の温かさに触れて楽しくお酒とご飯をいただいていると、突然娘ちゃんが電気を消して居間が真っ暗になった。また何かの悪戯かなと思っていたところ、台所のほうから、蠟燭に火が灯ったケーキを持った奥さんが出てきた。そうだ、本日は私の誕生日だった。おそらくFacebookで私の誕生日を知り、ケーキを用意してくれたのだろう。思いがけないそのプレゼントがとても嬉しくて、ついついお酒をたくさん飲んでしまった。気がつくと、4日分と思っていた1.5リットルのワインの瓶にはあと残り4センチ分くらいしかなかった。

というわけで、滞在1日目から泥酔。ほんとすみません。

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